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辰村泰治の七十年 時代の波にほんろうされた一人の精神障害者
辰村泰治
発行:やどかり出版
A5判 174ページ
本体価格1,800円+税
ISBN978-4-946498-95-4 C0036
発行年月:2007年08月
辰村泰治70歳,満州生まれ.父の死,弟の死,母の死,そして,大学での統合失調症の発症……22年間,精神科病棟に閉じ込められ,自分の人生はここで終わるのだと諦観していた.そんなある日,新任のケースワーカーが「人生80年,残りの20年を外で暮らしてみませんか」と言う.退院したのは今から8年前,もう60歳を過ぎていた.幼少期から,「人生の中で今が1番幸せです」と言い切る今日までの波乱万丈の人生を,著者自身が丁寧に書き綴った.「日本の国策に翻弄された」といっても過言ではない著者の人生を,暗雲漂う今だからこそ,多くの人たちに知ってほしい.「今を精一杯生きよう」と思えるはずだ.
目次
献辞
辰村さんとの出会い
記憶の質と量に驚嘆
「人が生きる」重さを教えられた
第1章 第2次世界大戦にほんろうされて
-中国東北部で敗戦,引揚者として金沢市で-
1.わが故郷中国「長春市」
2.満州での幼年期
1)いっこうに日焼けしない色白の子供だった
2)ままごとからちゃんばらへ
3)怒ると怖かったけれど自分を可愛がってくれた父
4)ナイフでレコード盤を切りつけた父
3.日中戦争から太平洋戦争
1)一路戦争へと突入していった日本
2)敵と戦うのが光栄だと思っていた
3)ソ連軍の空爆を受けた新京市
4)13年間の命,夢まぼろしの満州国
4.太平洋戦争の終結と父との生き別れ
1)腰に軍刀を吊った父に驚く
2)満州国立中央銀行の地下室に避難
3)ロシア語を覚えろと言った父
4)ソ連軍に拉致された父 それが生き別れ
5)容疑の戦争犯罪は晴れたが,極寒の地で死んでいった父
5.父と別れてから内地に帰るまで
1)ストーブを囲んで夜遅くまでの団欒
2)母に頼まれ父のネクタイをソ連兵に売った
3)貧しくても規律正しかった共産党軍
4)日本の陸地は水蒸気に包まれていた
6.金沢での暮らしの始まり
1)母の実家の大きな家に転がり込んだ
2)四国の実家に帰って行ったお手伝いさん
3)金沢市の小学校に3年生として転入
4)貧しかった当時の日本の食糧事情
5)売り食い生活,竹の子生活
6)叔母が朝食を食べずに出勤し始めた
7.新薬ペニシリンのこと
8.弟敏治の死
1)変わり果てた弟の病の床の姿
2)死の床で「とうちゃん返せ,とうちゃん返せ」と泣き叫んだ弟
9.教育基本法公布のころ〜失恋第1号
1)読書の習慣がついたころ
2)失恋の味を知らされた
3)新カリキュラムによる新しい事業を受ける
4)自由で何でも言えるさわやかな新しい教育制度を満喫
10.父の死の知らせと母方の叔母の結婚
1)母方の叔母の結婚式
2)叔母の嫁ぎ先で読書三昧
11.祖母のおかげ
1)祖母の家から物がどんどんなくなっていった
2)最初に部屋を借りたのは四高の学生
3)金沢大学教育学部付属中学校に合格
第2章 東京での新しい生活になじめず発病
1.新しく進学した中学校の第一印象
2.中学生にはなったけど
1)小学校の延長のような中学生生活
2)友人から借りて貪り読んだ本の数々
3)学業がおろそかになり,先生方に叱責され
3.母の死
4.所詮は文弱
1)金沢の伯父が兄弟の後見人になって援助してくれた
2)中学・高校時代,ひそかに恋した女性はいたけれど
3)尾を引く結核への恐怖
5.高校・大学受験のころ
1)金沢大学の東洋史の先生が同居
2)永井荷風に親しんで理科の先生を心配させた
3)読まなければよかった「クロイツエルソナタ」
4)NHK交響楽団の演奏に酔う
5)忘れられない反戦短編小説「ピエールとリュース」
6)八千草薫を観に汽車に乗って富山へ
7)統合失調症の予兆
6.大学入試のころ
7.人生は不可解なり
1)自分の時代にも「倫理」の教育があったら
2)知的探究心旺盛のままに
3)西洋の哲学者を列記すると……
8.論語読みの論語知らず
1)1学年1,000人の学生がいた経済学部
2)青春を謳歌していた学生寮の生活
10.道を踏みはずす
1)酒,煙草,映画,喫茶店通いを覚えた
2)パチンコにのめり込み借金だらけの生活に
11.腐った身のほど知らず
1)慣れない郵便小包配達のアルバイトで風邪をひき
2)1個10円のまんじゅうで飢えをしのぐ
3)かつてつき合っていた女性につきまとって
4)統合失調症を発症して最初の入院
5)薬物・電気ショック・インシュリンショック療法を受けて
第3章 精神病院と私
1)初めての入院で地獄の1丁目と言われ
2)幻聴に導かれてガラス窓に突入
3)保護室の隣人
4)歌人G氏との出会い
5)同性愛の片鱗を垣間見た
6)仕事探しの苦労
7)大宮駅のプラットホームから精神病院へ
8)今でも忘れられない患者
9)3時間かかった胃潰瘍の手術
10)苦しめられてきた痛みから解放されて
11)過食の結果ぎっくり腰に
12)患者は最下層,医者,看護婦,看護人には絶対服従
13)女性患者にお世話になった
14)患者の搬送の手伝いをしてコーヒー牛乳等をもらう
15)看護学生に搬送の要領を伝える
16)精神科病棟の掃除や配食・配膳をする
17)飴と鞭の患者管理法
18)忘れられない旅の思い出
19)やどかりの里をだれも教えてくれなかった
20)忙しかった病院の厨房でのボランティア仕事
21)ケースワーカーが来て私は退院できた
第4章 私の就労体験
1)最初の就職は再発で依願退職に
2)ビニール工場で単純作業
3)転職,小さな町の不動産屋の店員へ
4)とにかく働きに働いた
5)いくつかの仕事,そして病気の再発
6)エンジュでの仕事と仲間たち
第5章 今を生きる
1.地域に生かされて
22年間の長期入院を経て,自分らしく生きている私
1)病院で死ぬ覚悟を決めて
2)もう1度自由な生活を
3)「やどかりの里」との出会い
4)まるで御殿のような部屋
5)アパートと援護寮を利用して社会生活を勝ち取る
6)生活支援センターはまさに生活の支援をしてくれる所
7)精神障害者もごく普通の市民生活を送れる
2.やどかりの里のグループホーム
企画者,取材者として
1)アパートであってもそれぞれが独立している世帯
2)「やどかりの里」のグループホームの歴史と特徴
3.体験発表の講演を続けるわけ
4.自分の夢,これからの希望
おわりに
前書きなど
献辞
辰村さんとの出会い
辰村さんとはじめて出会った場面を,なぜか今でも実に鮮明に覚えています.
当時の私は少しでも退院の可能性のありそうな患者さんを探して,病棟内をうろうろ歩き回っていました.何しろ病棟にはいわゆる社会的入院を余儀なくされている方がたくさんいらっしゃって,精神保健福祉士の私には無視できない状況が広がっていたからです.
その日,畳敷きと鉄格子の見える病室に白い光が差し込んでいて,一人の男性が私に背を向けて正座していました.背筋がぴしっとのびていて,まるで時間が止まったような空間の中にその細身の男性はいました.彼の脇には,筆記用具とお経でも書いてありそうなやや古びた紙が積み上がっていました.「これじゃ,まるで禅寺の修行僧のようだな」と思いました.良い意味でも悪い意味でも,本当に世俗を離れて長い修行に身をささげてきた人だけが放つ独特の雰囲気が漂っているように感じました.
私のその日の目的は,その男性に退院の話しを切り出すことでした.そして,その目的通り,いきなり彼に「退院しませんか?」と切り出しました.少しきょとんとした表情を見せたまま少し沈黙がありました.「ここで死ぬ覚悟をしているのに,なぜ今さら退院なんですか」と彼は答えました.そこには微妙な不快感さえ込められているように感じました.今度は私のほうが言葉に詰まりました.誰でも退院したいと即答するものだと思い込んでいたからです.
私が記憶している辰村さんとの出会いの場面はこんな感じです.(中略)
辰村さんが入院された時代は,日本中に精神化の病院が乱立し,いわゆる「社会防衛的」な思想によって社会からの「隔離」が公然と行われていた時代です.そして,それは「過去のあやまち」ではありません.今なお日本の「長期入院」「社会的入院」の問題は消えていないのです.(後略)
やどかり出版から一言
22年間の精神科病棟への長期入院経験を持つ著者が,統合失調症を持ちつつも地域で生きる「今がいちばん幸せ」と言い切る.その背景がこの本の中につまっている.
発行:やどかり出版
A5判 174ページ
本体価格1,800円+税
ISBN978-4-946498-95-4 C0036
発行年月:2007年08月
辰村泰治70歳,満州生まれ.父の死,弟の死,母の死,そして,大学での統合失調症の発症……22年間,精神科病棟に閉じ込められ,自分の人生はここで終わるのだと諦観していた.そんなある日,新任のケースワーカーが「人生80年,残りの20年を外で暮らしてみませんか」と言う.退院したのは今から8年前,もう60歳を過ぎていた.幼少期から,「人生の中で今が1番幸せです」と言い切る今日までの波乱万丈の人生を,著者自身が丁寧に書き綴った.「日本の国策に翻弄された」といっても過言ではない著者の人生を,暗雲漂う今だからこそ,多くの人たちに知ってほしい.「今を精一杯生きよう」と思えるはずだ.
目次
献辞
辰村さんとの出会い
記憶の質と量に驚嘆
「人が生きる」重さを教えられた
第1章 第2次世界大戦にほんろうされて
-中国東北部で敗戦,引揚者として金沢市で-
1.わが故郷中国「長春市」
2.満州での幼年期
1)いっこうに日焼けしない色白の子供だった
2)ままごとからちゃんばらへ
3)怒ると怖かったけれど自分を可愛がってくれた父
4)ナイフでレコード盤を切りつけた父
3.日中戦争から太平洋戦争
1)一路戦争へと突入していった日本
2)敵と戦うのが光栄だと思っていた
3)ソ連軍の空爆を受けた新京市
4)13年間の命,夢まぼろしの満州国
4.太平洋戦争の終結と父との生き別れ
1)腰に軍刀を吊った父に驚く
2)満州国立中央銀行の地下室に避難
3)ロシア語を覚えろと言った父
4)ソ連軍に拉致された父 それが生き別れ
5)容疑の戦争犯罪は晴れたが,極寒の地で死んでいった父
5.父と別れてから内地に帰るまで
1)ストーブを囲んで夜遅くまでの団欒
2)母に頼まれ父のネクタイをソ連兵に売った
3)貧しくても規律正しかった共産党軍
4)日本の陸地は水蒸気に包まれていた
6.金沢での暮らしの始まり
1)母の実家の大きな家に転がり込んだ
2)四国の実家に帰って行ったお手伝いさん
3)金沢市の小学校に3年生として転入
4)貧しかった当時の日本の食糧事情
5)売り食い生活,竹の子生活
6)叔母が朝食を食べずに出勤し始めた
7.新薬ペニシリンのこと
8.弟敏治の死
1)変わり果てた弟の病の床の姿
2)死の床で「とうちゃん返せ,とうちゃん返せ」と泣き叫んだ弟
9.教育基本法公布のころ〜失恋第1号
1)読書の習慣がついたころ
2)失恋の味を知らされた
3)新カリキュラムによる新しい事業を受ける
4)自由で何でも言えるさわやかな新しい教育制度を満喫
10.父の死の知らせと母方の叔母の結婚
1)母方の叔母の結婚式
2)叔母の嫁ぎ先で読書三昧
11.祖母のおかげ
1)祖母の家から物がどんどんなくなっていった
2)最初に部屋を借りたのは四高の学生
3)金沢大学教育学部付属中学校に合格
第2章 東京での新しい生活になじめず発病
1.新しく進学した中学校の第一印象
2.中学生にはなったけど
1)小学校の延長のような中学生生活
2)友人から借りて貪り読んだ本の数々
3)学業がおろそかになり,先生方に叱責され
3.母の死
4.所詮は文弱
1)金沢の伯父が兄弟の後見人になって援助してくれた
2)中学・高校時代,ひそかに恋した女性はいたけれど
3)尾を引く結核への恐怖
5.高校・大学受験のころ
1)金沢大学の東洋史の先生が同居
2)永井荷風に親しんで理科の先生を心配させた
3)読まなければよかった「クロイツエルソナタ」
4)NHK交響楽団の演奏に酔う
5)忘れられない反戦短編小説「ピエールとリュース」
6)八千草薫を観に汽車に乗って富山へ
7)統合失調症の予兆
6.大学入試のころ
7.人生は不可解なり
1)自分の時代にも「倫理」の教育があったら
2)知的探究心旺盛のままに
3)西洋の哲学者を列記すると……
8.論語読みの論語知らず
1)1学年1,000人の学生がいた経済学部
2)青春を謳歌していた学生寮の生活
10.道を踏みはずす
1)酒,煙草,映画,喫茶店通いを覚えた
2)パチンコにのめり込み借金だらけの生活に
11.腐った身のほど知らず
1)慣れない郵便小包配達のアルバイトで風邪をひき
2)1個10円のまんじゅうで飢えをしのぐ
3)かつてつき合っていた女性につきまとって
4)統合失調症を発症して最初の入院
5)薬物・電気ショック・インシュリンショック療法を受けて
第3章 精神病院と私
1)初めての入院で地獄の1丁目と言われ
2)幻聴に導かれてガラス窓に突入
3)保護室の隣人
4)歌人G氏との出会い
5)同性愛の片鱗を垣間見た
6)仕事探しの苦労
7)大宮駅のプラットホームから精神病院へ
8)今でも忘れられない患者
9)3時間かかった胃潰瘍の手術
10)苦しめられてきた痛みから解放されて
11)過食の結果ぎっくり腰に
12)患者は最下層,医者,看護婦,看護人には絶対服従
13)女性患者にお世話になった
14)患者の搬送の手伝いをしてコーヒー牛乳等をもらう
15)看護学生に搬送の要領を伝える
16)精神科病棟の掃除や配食・配膳をする
17)飴と鞭の患者管理法
18)忘れられない旅の思い出
19)やどかりの里をだれも教えてくれなかった
20)忙しかった病院の厨房でのボランティア仕事
21)ケースワーカーが来て私は退院できた
第4章 私の就労体験
1)最初の就職は再発で依願退職に
2)ビニール工場で単純作業
3)転職,小さな町の不動産屋の店員へ
4)とにかく働きに働いた
5)いくつかの仕事,そして病気の再発
6)エンジュでの仕事と仲間たち
第5章 今を生きる
1.地域に生かされて
22年間の長期入院を経て,自分らしく生きている私
1)病院で死ぬ覚悟を決めて
2)もう1度自由な生活を
3)「やどかりの里」との出会い
4)まるで御殿のような部屋
5)アパートと援護寮を利用して社会生活を勝ち取る
6)生活支援センターはまさに生活の支援をしてくれる所
7)精神障害者もごく普通の市民生活を送れる
2.やどかりの里のグループホーム
企画者,取材者として
1)アパートであってもそれぞれが独立している世帯
2)「やどかりの里」のグループホームの歴史と特徴
3.体験発表の講演を続けるわけ
4.自分の夢,これからの希望
おわりに
前書きなど
献辞
辰村さんとの出会い
辰村さんとはじめて出会った場面を,なぜか今でも実に鮮明に覚えています.
当時の私は少しでも退院の可能性のありそうな患者さんを探して,病棟内をうろうろ歩き回っていました.何しろ病棟にはいわゆる社会的入院を余儀なくされている方がたくさんいらっしゃって,精神保健福祉士の私には無視できない状況が広がっていたからです.
その日,畳敷きと鉄格子の見える病室に白い光が差し込んでいて,一人の男性が私に背を向けて正座していました.背筋がぴしっとのびていて,まるで時間が止まったような空間の中にその細身の男性はいました.彼の脇には,筆記用具とお経でも書いてありそうなやや古びた紙が積み上がっていました.「これじゃ,まるで禅寺の修行僧のようだな」と思いました.良い意味でも悪い意味でも,本当に世俗を離れて長い修行に身をささげてきた人だけが放つ独特の雰囲気が漂っているように感じました.
私のその日の目的は,その男性に退院の話しを切り出すことでした.そして,その目的通り,いきなり彼に「退院しませんか?」と切り出しました.少しきょとんとした表情を見せたまま少し沈黙がありました.「ここで死ぬ覚悟をしているのに,なぜ今さら退院なんですか」と彼は答えました.そこには微妙な不快感さえ込められているように感じました.今度は私のほうが言葉に詰まりました.誰でも退院したいと即答するものだと思い込んでいたからです.
私が記憶している辰村さんとの出会いの場面はこんな感じです.(中略)
辰村さんが入院された時代は,日本中に精神化の病院が乱立し,いわゆる「社会防衛的」な思想によって社会からの「隔離」が公然と行われていた時代です.そして,それは「過去のあやまち」ではありません.今なお日本の「長期入院」「社会的入院」の問題は消えていないのです.(後略)
やどかり出版から一言
22年間の精神科病棟への長期入院経験を持つ著者が,統合失調症を持ちつつも地域で生きる「今がいちばん幸せ」と言い切る.その背景がこの本の中につまっている.